何も選ばない生き方ねぇ・・・

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081119/177766/
今日の朝、学校に行くために駅につくと9時半についたにも関わらず、掲示板には次に来る電車が9時1分の電車となっている。結局、その電車がついたのは9時45分ごろでした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/081120/dst0811201337002-n1.htm
JRにはよくあることです。


まあそんな話はどうでもよく、『「何も選ばない」生き方のすすめ』という記事がはてブのほうで話題になっていたので読んでみた。
この記事を見たとき、ある一つの事件を思い出した。
wikipedia:附属池田小事件
この項目の1.3 公判の部分を見てもらえれば分かるとおり、宅間被告人は"死ぬ事には全くビビってない。死は一番の快楽","家が裕福で勉強の出来る子供でも何時殺されるか分からない不条理さを世間に分からせたかった"というようなことを述べており、確か自分の記憶が正しければ確かニュースで犯行理由は、死にたくても自殺できなかったので死刑になるように殺人を犯した。というような内容だったように思う。
植島氏がこういうことを考えて言ったわけではなく、ただ死んだ後のことを考えるぐらいなら死ぬのはしょうがないと考えた生き方のほうがいいといっているだけなのは分かる。なので、ここでこの事件のことをここに書くのは変だと思う人もいるとは思う。
実際、やらなければいけないことはやるようにするというように記事には書いてあるし、やってはいけないことをやってしまった宅間被告とは全く違う*1
それに、殺人というのも一つの選択であり、この記事に書いてある『何も選ばない生き方』とは違うだろう。


さて、何でこんな結局何が言いたいのか分からないことを書いているかというと最初は池田小事件を例にだしてこの人を批判的に書いてみようと思ったからだ。だが、記事をよく読んでいくうちに全然違うじゃんと分かり、こんなわけのわからんエントリーになったまでである。(じゃあ書くな!という突っ込みはしないでね)


ただし、だからといってこの人の意見に全面同意したわけではない。確かに、"起こったことはしょうがない"と思うということは同意したい(実際に何か起こったときにそう思えるという自信はないが・・・)。
ただ、どうもこの人は日本を批判的にみすぎだと思うのだ。たとえば、"「いつも何かが欠けている」という強迫観念で社会を動かそうとする。 "という発言について、悪くいっているが、僕自身はただたんに客層にもっといいものがあると知ってもらおうとしているだけで、別に脅迫しているという意味で企業が言っているわけではないのではないかと思っている。
たとえば、最近だと下記のエントリーがいい例かもしれない
米国に住んでいて「あー日本の家電はこっちじゃ売れないよなあ」と思ってしまう理由 - World Wide Walker
もしかしたらこれを見て日本を笑う人がいるかもしれない。でも、日本はこれでいいように思う。むしろ、これが日本の長所なんだといいたい。
例えば、商品が売れることによってさらによい商品、もしくは効率がいい商品を作ろうとメーカーは研究し、日本の技術力はあがり、経済は発展するだろう。
もしこの物事を批判するなら買ってしまう消費者のほうではないだろうか?(まあ、それを言ってしまったら『「何も選ばない」生き方のすすめ』という記事タイトルに矛盾が生じるのだが)
そもそも、電車は時間通り来ないことが当たり前という考えかたも気になる。確かに、自然現象にたいして車掌が謝る行為は僕自身どうかと思うのだが、スケジュールを作ったのだから、約束どおり、できるかぎりその時間に電車を間に合わせるというのがモラルではないだろうか(だいたい、海外には行ったことはないが、海外の電車がよく遅れる理由は自然現象ばかりなのか?と問いたい)。
自分だって電車が遅れることに文句をいうつもりはない。仕方がないことだとは思う。でも、もう少し情報を流してもらえないものか。隣の駅に止まってるという情報だけ流して、なぜ動かないのか、いつ動くのか分からないというのは本当に勘弁願いたい。


そういやこういう話、キリスト教学とかいう授業で聞いたような気がする。後編がでたらそれと関連づけて話してみたい。

*1:殺人が本当にやってはいけないことかという議論についてはここには書かない