JIN-仁-最終回 『神は乗り越えられる試練しか与えない』

実は言うと、第1話の後半1時間を見て以来(前半はアルバイトで見ていない)、はまってしまった身であり、2話以降に日曜日がアルバイトの際は退勤すると急いで着替え、急いで帰っていた(ただし、それでも帰ってくる時間は9時25分ぐらいになる)。
幸い、わざわざ休みの希望をだしたわけでもないのに今日はアルバイトのシフトが入っておらず、最初から最後まで見ることができた。
まあでも、最終回のできは賛否両論だと思われる。タイムスリップの謎は残ったままだし、南方先生を殺そうとしたのは誰かも分かっていない。自分もあともう一歩何かがあったらよかったとは思うけれども、ハッピーエンドでよかったのではないだろうか。自分のなかでも今年1番か2番に入る良ドラマだった(ちなみに、もう一つの1番の候補は『アイシテル』だ)


まあそれはともかくとして、このドラマで伝えたかったことは『神は乗り越えられる試練しか与えない』ということだろう。今までも何度かこの言葉がこのドラマ内で登場したが、とくに今回の最終回は何度もこの言葉が登場したように思う。
父親も、視聴中にこの言葉が登場したら「これ最近の座右の銘にしてる」とどうでもいことを言い出した。もちろん、JINの影響なのでこのドラマの脚本家(森下佳子さんという人らしい)のもくろみ通りということだろう。
神は乗り越えられる試練しか与えない。
自分にはブログ名にあるとおり、ある意味で試練である、就職活動というものを現在行っている。
ここで、乗り越えられるというのは内定を獲得するということだろう。
か?
そもそも、乗り越えるというのはどういうことだろうか?
コトバンクには次のようにある。

1 物の上を越えて、向こう側へ行く。「塀を―・えて侵入する」
2 先人の成しとげた仕事の水準などを追い越す。「師を―・える」
3 困難などを切り抜けて進む。「人生の荒波を―・える」
乗(り)越える(ノリコエル)とは - コトバンク

『神は乗り越えられる試練しか与えない』という言葉の場合、2か3の意味があてはまるように思う。
特に、就職活動の場合3の意味になると思われる。
さて、では果たして就職活動という困難な道を切り抜けたとき、はたしてその先にあるのは内定獲得である必要があるのだろうか。別に、内定獲得でなくてもいいのではないのだろうか。
就職活動をした結果、進学を選んだり、起業を選んだりしても、それがいい結果だと思ったのであれば、困難を乗り越えたといえるのではないだろうか。


あれ?あれあれ?おかしいな。こんなこと書くはずじゃなかったのに。
"『神は乗り越えられる試練しか与えない』。僕もこれを座右の銘として就職活動にはげんでいきたい。この困難はきっと乗り越えられる。"と書くはずだったんだけど・・・。


ところで、『神は乗り越えられる試練しか与えない』と聞いて、「んなもんわけないだろ。乗り越えられない試練はある」という人に対しては三つの返答方法がある。
まずは、「それはまだ乗り越えていないだけです」ということ。
二つ目は、「では、それは神が与えた試練ではなかったということでしょう」ということ。
もう一つは、「えっ?何お前?神なんか信じてんのwww」ということ。


そういや、映画化の話は結局どうなったんだろう? 確かに、つづきがあってもよさそうな終わり方ではあったけれども。
"最終回ひどすぎ"クレーム必至? - ライブドアニュース
でも、そこまでいうほど続編を意識しているようには見えなかったけどなぁ。