ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 新書
- 購入: 34人 クリック: 461回
- この商品を含むブログ (462件) を見る
序章
ポストモダンとオタク/ポストモダンと物語/
ポストモダンの世界をどう生きるか
第1章 理論
A.社会学
ライトノベル/キャラクター1/ポストモダン/
まんが・アニメ的リアリズム/想像力の環境/二環境化
B.文学1
現実/私小説/まんが記号説/半透明性/文学性
C.メディア
「ゲームのような小説」/ゲーム/キャラクター2/
「マンガのおばけ」/ゲーム的リアリズム1/コミュニケーション
第2章 作品論
A.キャラクター小説
環境分析/『All You Need Is Kill』/ゲーム的リアリズム2/
死の表現/構造的主題
B.美少女ゲーム
美少女ゲーム/小説のようなゲーム/『ONE』/
メタ美少女ゲーム/『Ever17』/『ひぐらしのなく頃に』/
感情のメタ物語的な詐術
C.文学2
『九十九十九』/「メタミステリ」/プレイヤー視点の文学/
世界を肯定すること
<付録A>不純さに憑かれたミステリ――清涼院流水について
<付録B>萌えの手前、不能性に止まること――『AIR』について
最近、漫画評論やアニメ評論についての本をよく読んでいるが、自分自身はオタクではない。また、本書は著者の前著である『動物化するポストモダン』の続編であるらしいが、自分は読んでいない。
本書はオタク文化、とくにアニメや漫画ではなく、オタク文化に属する文学作品、たとえばライトノベルや美少女ゲーム(ここではノベルゲームのことを指す)に関しての評論本である。
最初のほうは他人の本の引用とその同意が目立ち、何だコリャ。と思ったのだが、後半あたりは作者の意見が述べられている部分が多数みられる。
全体的な感想としては、なるほどー。と思ったのだが、自分自身が美少女ゲームやライトノベルをあまり読んだことをないせいか、いまいちよく分からなかったというのが正直なところである。
つまり、作者がいいたいことは、美少女ゲームやライトノベルというものはただの読み物ではなく、現実世界、つまり読者やプレイヤーを巻き込んでいるものだということを伝えたいのだろうと思う。たとえば、本書で紹介されている『Ever17』というゲームでは、ゲームの登場人物の一人がプレイヤーを主人公ではなく、第三者とみて迎える場面があり、思わず自分自身がゲームの世界にいるものと錯覚する場面があるらしい。
また、本書で紹介している作品ではすべて選択というテーマがあり、それはノベルゲームにある選択肢のことや、主人公がある複数の選択を迫られる作品であったりである。
ところで、オタクのなかには、二次元の世界に行きたがっている人が多い。行きたがっているとはつまり、行けないということであり、ゲームと違い、そんな選択できない世界に住んでいる。
そして、本書で紹介している作品、たとえば、Airという作品には主人公、つまりプレイヤーがカラス視点で見た光景となり、もちろんカラスであるので見ている光景(つまり、人物)に影響を与えることができない。しかし、見ている光景には自分が何かしてやりたいと思う場面があり、そんな、自分が何もできない立場に追いやられることにプレイヤーは挫折を受ける。
この本を見て思いついた、美少女ゲームのストーリーアイディアがあるので書いてみる(もしかしたらもうあるのかもしれないが)。
ストーリーの最初の画面は実写で主人公はニートでオタクの青年。そんな中、共働きのため母親が「ちゃんと朝ごはん食べるのよー」と言って、家を出て行く。その数分後、主人公が注文していた美少女ゲームが届き、そのゲームソフトをやろうとしたとたん、意識がなくなり、起きると二次元の世界、つまりそのゲームソフトの主人公自身になっていたという設定。その中で夢だった二次元の世界を楽しむが、ある日、普段の美少女ゲームと同じように誰かの女性と結ばれるエンドになると現実世界に呼び戻されるという事実を知る。はたして、主人公は最高のハッピーエンドを迎えずに二次元の世界を住むのか、ハッピーエンドを迎える上で現実世界に戻ることを決意するのか・・・。
うーん。これじゃあ選択がないわけじゃあないからなぁ・・・(しかも、自分自身、美少女ゲームをフリーソフトぐらいしかやったことないという)。もしかしたら著者がいいたいことと違うかもしれない。